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しまね連れづれ草

 

2017年6月号

出雲神国論異説

    神国 ―神々の国―は日本の聖なる名である。その神国の中でも最も聖なる地は出雲国である。高天原からこの地に最初に降り立ち、しばらくこの地に住んだのは、国産みの神、イザナキとイザナミ、神々と人間の御祖の神であり、この出雲国の境のどこかにイザナミは埋葬された。(中略)出雲がわけても神々の国、イザナキ、イザナミが今も崇拝されている民族の揺ようらん籃の地だとしても、出雲国杵築はとりわけ神々の都であり、その太古からの神殿は古代信仰、神道の発祥の地なのである。

    これは小泉八雲の『知られぬ日本の面影』「杵きつき築」冒頭の出雲を神々の国と捉えた有名な一節です。一般的には、出雲が神国とみなされる理由として、国作りを行い、また神々のことを司るオオクニヌシが出雲国(出雲大社)に鎮座していることを挙げることができます。しかし八雲は、出雲大社が鎮座する杵築を神々の都、神道の発祥地とする一方で、出雲を神国とする理由については御祖の神であるイザナキ・イザナミが出雲国に住んだ(鎮座した)ことを挙げているのです。

    歴史的に見て、イザナキ・イザナミが出雲に鎮座していることをとりわけ主張したのは佐太神社です。明応4年(1495)の「佐陀大社縁起」では、イザナキ・イザナミが淡路島を産んだところ、この島には海水が漫々としていて住むべき所ではないので、両神は出雲国の島根に移ったと記されています。また、イザナキ・イザナミが鎮座する故に出雲国を神国とみなす考え方は、イザナミを主祭神とする神魂神社(松江市)の中世末の資料においても垣間見るができます。冒頭にひいた八雲の記述から、中世末に由来する伝承が明治時代半ばにも生きていたことがわかり、大変興味深く感じます。

    八雲は、イザナキ・イザナミに結び付けて出雲を神国とみなしていますが、他にも例えば、寛永11 年(1634)に日御神社(出雲市)に奉納された『出雲国風土記』日御碕本の奥書では、風土記が唯一伝わっていることを神国とみなす理由としています。また、大正13 年(1924)の「一畑薬師及出雲名所図絵」では、神徳が伊勢神宮につぐ出雲大社が鎮座していることをその理由としています。出雲神国論は様々な伝承から成立してきているのです。 

(古代出雲歴史博物館 吉永壮志)